こんにちは。やっす(@yassu_blog)です。
兵庫県姫路市にあり、世界遺産にも登録されている姫路城は白鷺城とも呼ばれるほど白くて美しい外観が有名です。
ですが、姫路城は何故白いかご存知でしょうか。
この記事では姫路城の歴史について解説しています。
また、こちらの記事の内容は動画でも解説していますので、合わせてご覧ください。
姫路城ってなんで白いの?世界遺産・姫路城の歴史
姫路城の概略
姫路城の高さは31.5mです。現存する城の中で天守が一番高い城は大阪城で41.5mなので姫路城の方が10m低いです。
また、3回の建て替えを行っており、現在は4代目になります。
築城当時の姿をほぼそのまま残している日本では珍しいお城です。
築城当時の姿をほぼそのまま残している日本では珍しいお城です。
姫路城は連立式天守という構造をしており、場内には4つの天守が並んでいて、そのうちの1つが大天守です。
連立式天守とは
上から見た時に大天守と小天守が渡櫓(わたりやぐら)でつながっている構造のお城のこと
上から見た時に大天守と小天守が渡櫓(わたりやぐら)でつながっている構造のお城のこと
姫路城の他、松山城も連立式天守のお城として有名です。
1333年
赤松則村が現在の姫路市にある姫山に砦を構えました。これが後の姫路城となります。
この1333年は鎌倉幕府が滅亡した年です。
この1333年は鎌倉幕府が滅亡した年です。
鎌倉幕府の終わりの頃は、武家の時代から天皇の時代にしようと考えた後醍醐天皇が幕府を倒そうとしていました。
そのような中反幕府派だった後醍醐天皇側に付く形で赤松則村が挙兵して、砦を立てたのが始まりでした。
赤松則村はその後幕府の機関の六波羅探題を攻め落として、その流れで北条氏を倒して鎌倉幕府を滅亡させます。
そこから室町幕府の時代が始まりました。
その後則村の息子である赤松貞範が1346 年に砦のあったところに小さい城を築いたのが初代の姫路城です。
黒田官兵衛と羽柴秀吉が城主に
1570年頃には大河ドラマの主人公ともなった黒田官兵衛こと黒田孝高(よしたか)が14代目の城主となりました。黒田官兵衛は軍師として織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた人物です。
1580年に黒田官兵衛は羽柴秀吉に城を献上し、秀吉が姫路城の城主になりました。秀吉の城としては大阪城が有名ですが、大阪城を拠点にする前には姫路城を拠点にしていました。
そうして秀吉は黒田官兵衛と共に天下を統一します。
そうして秀吉は黒田官兵衛と共に天下を統一します。
1600年 池田輝政が城主に
秀吉が死んだ後は豊臣秀吉に仕えていた池田輝政が城主となり、建て替えを行いました。
その時に姫路城を今のような白塗りの城にしたと言われています。
その時に姫路城を今のような白塗りの城にしたと言われています。
姫路城が築城された頃は火縄銃が普及していましたが、敵に火縄銃で攻められても延焼しないようにと漆喰が塗られました。この漆喰の色が白かったため、姫路城は白色のお城となっています。
この姫路城の白い塗装は「白漆喰総塗籠め造り(しろしっくいそうぬりごめづくり)」と呼ばれています。
この姫路城の白い塗装は「白漆喰総塗籠め造り(しろしっくいそうぬりごめづくり)」と呼ばれています。
それまで城というと黒っぽい色のものが多かったため、姫路城の城の美しさは評判になったそうです。
この築城が完了したのは1609年で、この時に5重7階の連立式天守が完成します。
完成の時は既に徳川家康が1601年に行われた関ヶ原の戦いに勝利して江戸幕府を開いており、戦の無い時代だった江戸時代に入っていました。
そのため、この姫路城では戦は行われませんでした。
この先も姫路城は戦火を免れて現代までその姿を保っています。
そのため、この姫路城では戦は行われませんでした。
この先も姫路城は戦火を免れて現代までその姿を保っています。
明治時代
その後、明治時代に入ると城としての役割はなくなり、姫路城は軍用地として使われていました。
また1882年に一部が火災で焼失したこともあり、明治時代の当時は今のような美しさはなく、姫路城は近く崩壊するとまで考えられていたそうです。
しかし1910 年頃から日本の城の貴重さが見直され始め、陸軍大佐の中村重遠(なかむらしげとお)大佐らが姫路城についても保存に動き始めて明治の大修理が始まりました。
昭和時代
1935年からは昭和の大修理が始まりました。そしてその後日本は第2次世界大戦に突入します。
戦時中は白い城は目立つということで、カモフラージュのために姫路城には網が被せられていたということです。
結果として、第二次世界大戦中の空襲で姫路の街は焼け野原になりましたが、網がかぶせられていたためか、姫路城は戦火を免れることになりました。
そのため、現在に至るまで築城当時の姿を残している貴重なお城となっています。
戦後から平成
1956年から昭和の大修理が再開され、天守閣の解体復元工事も行われました。
その結果1993年に姫路城は世界文化遺産に登録されます。登録理由としては外観の美しさや、城が木造でできておりかつ現存している貴重な建物であることなどがあげられます。
そして2009からは5年間かけて平成の大修理が行われ、今なお真っ白で美しい姿を保っています。
まとめ
姫路城が白い理由は延焼防止で塗られた漆喰のためでした。
平成の大修理も終わって、漆喰も塗りなおされているため、また一層美しくなった姫路城に是非足を運んでみて下さい。
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