こんにちは。やっす(@yassu_blog)です。
ドイツにおいて最も人気な観光スポットであり、世界最大のゴシック洋式建築として世界遺産にも登録されているケルン大聖堂ですが、実は632年もの歳月をかけて建てられました。また、今でもその美しさからたくさんの人々が訪れていますが、一時期世界遺産から外される可能性のある「危機遺産リスト」にも入っていたことがあるのです。
そんなケルン大聖堂の歴史を見ていきましょう。
ケルン大聖堂はどこにある?
ケルン大聖堂はドイツでも古い歴史を誇る西部の街・ケルンの中心に存在します。
ケルンはライン川沿いに存在する街で、古くから発展した街です。
ケルンまでは日本からの直行便もあるフランクフルトへ行き、そこから特急列車で1時間15分程度で行くことができます。
ケルン大聖堂の概略
ゴシック様式の世界最大の建築物で高さは157mもあり、4,50階建てのビルと同等の高さがあります。
ケルン中央駅のすぐそばに位置していますが、建物が大きすぎて、写真を取る際には駅から離れないと全景を移せないほどの大きさです。
またトリーア大聖堂とマインツ大聖堂と合わせてドイツ三大大聖堂とされています。
ケルン大聖堂の歴史
1248年
元々4世紀ごろからこの土地には聖堂が存在し、その聖堂に東方三博士(イエス・キリストの誕生を祝うためにベツレヘムに訪れたと言われる人物)の遺物を納めるために更に大聖堂を建築するとされたものの、1248年に火災により焼失したため、改めて建築家ゲルハルトによる設計の元大聖堂を建築することとしました。
1560年
ゲルハルトの死後も彼の図面をもとに建築が続けられ、既に内陣が完成していたものの、この年に宗教革命による財政難となり、工事が中断されてしまいました。
教会としての役割は果たしていましたが、その後も工事の再開と休止が繰り返されることとなり、大聖堂はいつまでも完成しませんでした。
1794年
フランス革命の最中にはフランス軍に占領されてしまい、倉庫として使われていました。
1842年
当時はゴシック建築の価値が見直されていた時代であり、合わせて1814年にゲルハルトが書いた図面が見つかっていたこともあり、プロイセン政府の援助と市民の寄付をもとに約300年ぶりに本格的に建築が再開されました。
1880年
当時世界最大の建築物として、632年もの時間をかけた大聖堂が完成します。
ゴシック建築の特徴としてステンドグラスがあげられますが、これは飛梁という屋外の柱が屋根を支えることで天井の高さの高い設計が実現可能となっています。また、この天井の高さとステンドグラスからの光が「神は光なり」というキリスト教の世界観を表している建築様式となります。
https://www.yassublog.com/entry/notre-dame-de-paris-history/
1996年
第二次世界大戦中に深刻な被害を受けるなどはあったものの、外観は保たれており、修復作業を経て1996年に世界文化遺産として登録されます。世界遺産登録の理由としてはその美しさはもちろん、東方三博士の遺物を納めて以降ヨーロッパのキリスト教文化に多大な影響を与えていたためと言われています。
2004年
世界危機遺産リストに入れられてしまいます。これは、当時ケルンの街が再開発の対象となり、100m以上の高層ビル建築の計画があったためケルン大聖堂を望む景観が損なわれてしまう危険性があったためです。このごビル建設の計画が見直されることにより、2006年には危機遺産リストから外れることとなりました。
危機遺産リストに入る世界遺産の多くは紛争や開発の影響でその価値を失う危険性のある途上国の遺産が登録されることが多く、ドイツのような先進国の遺産が入るケースは珍しいことでした。
まとめ
世界最大のゴシック建築のケルン大聖堂ですが、完成に600年以上の年月がかかり、完成後も一時は世界遺産から除名の危険性があったなどの歴史がありました。
是非訪れる際はそのような歴史も頭に入れて観光してみて下さい。
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