なぜ広島に原爆が?ヒロシマ・原爆ドームの歴史【日本人なら知っておきたい】

歴史
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こんにちは。やっす(@yassu_blog)です。

日本人の方ならだれでも第二次世界大戦で広島に原子爆弾が落とされたことはご存知だと思います。
しかし、元々原爆ドームは元々なにの建物だったのか、そもそもなぜ広島に原爆が落とされたのかなどはご存じない方も多いのではないでしょうか。
この記事ではそれらを含めた広島・原爆ドームの歴史を解説し、一人でも多くの方に日本で起こった現実をさらに深く知っていただけたらと思っています。

またこちらの記事の内容はYouTube動画としても解説しています。

なぜ広島に原爆が?ヒロシマ・原爆ドームの歴史【日本人なら知っておきたい】

原爆ドームってどこにある?


原爆ドームは広島駅から西に2km程離れた場所に位置しています。
現在原爆ドームの一帯は平和記念公園として整備されています。

また原爆ドームの北西に位置するT字型の橋が原爆の目標地点とされた相生橋です。
T字のため、上空からでもわかりやすいというのが理由だったとされています。

原爆ドームの歴史

1915年 広島県物産陳列館として建設

もともと原爆ドームは広島県物産陳列館として、1915年にチェコ人の建築家ヤン・レツルによって作られました。
当時は木造の建物が大半だった中、珍しいレンガ造りの3階建ての建物でした。
建設当初は名前の通り県内の物産品の陳列や、博物展・美術展等の展覧会の会場としても使われていました。
しかし、第二次世界大戦で日本の劣勢が続き、本土空襲が強まるにつれて陳列館としての機能は縮小されていき、次第に原爆ドームは公官庁の事務所として使われるようになりました。

1945年 8月6日午前8時15分 原子爆弾投下

アメリカの爆撃機B-29から投下されたウラニウム型の原爆「リトルボーイ」がドームの上空580メートルの位置でさく裂しました。(長崎に落とされた「ファットマン」はプルトニウム型)
広島の街は原爆から放出された熱線により火災が生じ、火の海となりました。

爆心地から500m以内は閃光と衝撃波が同時に襲い、屋外にいた人は熱線と放射線により即死し、屋内にいた人も多くは崩壊した家屋に閉じ込められ、焼死したとされています。
原爆の周囲の温度は2000度以上に達し、体内の水分が一気に蒸発し皮膚が剥がれ落ちて、生きている人々も重度のやけどを負って数日以内に亡くなったそうです。
広島市の当時の人口35万人のうち2-4か月以内の死者は9-16万人ほどと言われています。
原爆により56万人が被ばくし、爆心地から500m以内にいたものは3か月以内に98-99%が亡くなったとされています。

また原爆が投下された周囲の建物も木造建築は一瞬にして全壊しました。
しかし原爆ドームは爆心地のすぐ近くであり、真上から爆風を受けたことと、鉄骨やレンガで作られていたことから倒壊を免れました。

戦後

戦後、広島も徐々に復興してきましたが、原爆ドームは当時のままとされており、痛みも進行して崩壊の危険がありました。
市民の意見としては「忌まわしい日を思い出すから撤去してほしい」という意見と「惨状を後世に伝えるまで残してほしいという意見」が対立していました。
そんな中、1歳の時に被ばくし、高校生の時に白血病で亡くなった方の「あの痛々しい産業奨励館(原爆ドーム)だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう」という日記に多くの人が心を打たれ保存運動が開始されました。

1966年 保存が決定

広島市が保存を決議し、本格的に保存工事が始めらました。
ただし、他の建物とは違い、なるべく破壊されたままの状態で保存する必要があるため、保存の難易度が高く、今でも原型を残して保存する方法が検討され続けています。

1996年 世界遺産へ登録

広島市民による署名活動などに後押しされる形で、1996年に世界文化遺産に登録されました。
原爆ドームは世界で初めて市街地で利用された原爆の威力や恐ろしさを伝えることができる唯一現存する建物です。
そのため、原爆ドームの世界遺産登録には二度と同じことが起こらないという願いが込められています。

このような「人類が犯した悲惨な出来事を伝え、そうした悲劇を二度と起こさないための戒めとなる物件」は「負の世界遺産」と呼ばれており、原爆ドームのほかには「アウシュビッツ強制収容所」などが含まれます。

なぜ広島に原爆が落とされたのか

1945年当時、アメリカとしては戦争が長引くことで米兵にも死者が出る上お金もかかるため、早く戦争を終わらせたいと考えていました。しかし、各地の戦場で日本兵が最後の一人まで戦うさまを見て、簡単には戦争を終結させられないと感じました。
そのため、最新兵器として開発が進められていた原子爆弾を無しには戦争を終結させられないと考え、原爆を投下することを決めたと言われています。

広島が最終的に目標地となった理由としては、いくつかあった目標都市(広島、長崎、小倉、新潟)の中で、広島には連合軍の捕虜の収容所がないと思われていたため、最終的に広島が選ばれたとされています。
しかし、実際には米軍の捕虜も広島市内におり、原爆が投下されたことにより亡くなっています。

まとめ

広島の原爆ドームの悲惨な歴史と、その恐ろしさを理解いただけたのではないでしょうか。
このような歴史は決して風化させず、引き継いでいきましょう。

参考記事 金閣寺は放火され全焼していた!金閣寺に行く前に知っておきたい歴史

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