実は○○年に完成予定!サグラダ・ファミリアの歴史【100年以上工事中】

歴史
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こんにちは。やっす(@yassu_blog)です。

今回はスペイン・バルセロナにある人気の観光地サグラダ・ファミリアに行くときに必ず知っておきたい歴史を解説します。
この記事ではサグラダファミリアは

・元々ガウディが設計者ではなかった
・ガウディの書いた図面は今ほとんど残っていない

ということなどを説明しています。

今後サグラダ・ファミリアに行きたいという方は必見の知識となっていますのでご確認下さい。

また、私はこれまでたくさんの教会などの建造物に行きましたが、サグラダ・ファミリアは、圧倒的に一番すごいと思った建物です。
建物のなかに入って鳥肌が立った経験はこの時しかありませんので、是非一度訪れてみてください。

サグラダ・ファミリアはどこにあるの?

サグラダ・ファミリアは地中海に面した街であるスペイン・バルセロナの中心部に位置しています。
バルセロナにはあまり高い建物がないため、サグラダ・ファミリアはかなり遠くからでも見つけることが可能です。
また、バルセロナには、サグラダ・ファミリアのほか、グエル公園やカサ・ミラ、カサ・バトリョといったガウディの作品もあり、合わせて観光することが可能です。

サグラダ・ファミリアとは?

サグラダ・ファミリアという名前は、日本語で「聖家族贖罪教会」という意味です。
そのためサグラダ・ファミリアは聖家族つまりイエスキリストと、その養父であるヨセフ、そして聖母マリアの3人にささげられた教会だといえます。
実際に、側壁の要石に三人の頭文字であるJ・J・Mというモチーフが施されているなど、教会内の各所でこの3人に捧げられているということを見て取ることができます。
また贖罪教会という言葉の意味ですが、贖罪とは犠牲や代償を捧げて罪をあがなうことです。
贖罪教会ではその建築費用のすべてが個人の寄付によりまかなわれることになります。
この100年以上続いている工事の費用が工事の寄付によりまかなわれているというのは驚きですね。

サグラダ・ファミリアの歴史は?

1882年3月19日着工

サグラダ・ファミリアといえば、ガウディ建築として有名ですが、初めはガウディが設計者ではありませんでした。
はじめは民間のカトリック団体である、サン・ホセ教会に発注されフランシスコ・ビリャールという建築士が設計者をやっていました。

1883年ガウディが設計者に

しかし、受注をしたサンホセ協会とビリャールが建築手法で対立し、ビリャールはサグラダ・ファミリアの設計士を辞任しました。
そこで白羽の矢が立ったのが当時31歳でビリャールの教え子でもあったアントニ・ガウディでした。
ガウディは当時それほど実績があったわけではなかったもののこの大役を任されることとなりました。
ガウディがサグラダ・ファミリアの設計を引き受けることとなり、完成図を大きく書き直し、現在有名となっている壮大な設計の教会となりました。

ガウディの設計

ガウディの建築は2次元の図面には書き表せないような曲面などを用いていたため、図面はそれほど正確では無かったと言われています。
その代わり実際に建設する職人にもイメージがつきやすいように模型を多用したほか、ある部分のイメージだけを職人に伝え、職人の想像力に任せて作らせていたいた部分も多くあると言われています。
実際サグラダ・ファミリアに訪れるとわかると思いますが、普通の建物のような平面がほとんど存在しないため、もし図面で書いた場合これほど複雑な構造にはできないと感じられると思います。

1926年ガウディ死亡

ガウディはバルセロナ市内で路面電車にはねられて、重傷を負い、事故の数日後に亡くなりました。
ガウディは当時73歳でした。
この時、サグラダ・ファミリアたったの1/5程度しか完成していなかったと言われています。
こののちはガウディの残した数少ない資料をもとに建築が続けられることとなります。

1936年スペイン内戦

しかし1936年からスペインは内戦が始まり、サグラダ・ファミリアのあるバルセロナの街も戦火に巻き込まれます。
内戦自体は1939年に収束するものの、サグラダ・ファミリアの工事が再開したのは第二次世界大戦などを挟んだ1952年のことでした。
これほど再開が遅くなったのは、内戦によってガウディが残した図面や模型などの資料の多くが失われていたためでした。
サグラダ・ファミリアを完成させるのは無理だとの声も上がりましたが、わずかに残った資料のほか、ガウディとともに仕事をした職人や、それまで完成していた部分を参考に残りの部分の工事が続けられることとなりました。

資金不足

工事が再開されたサグラダ・ファミリアは、次に工事資金不足という問題に直面します。
サグラダファミリアは上記の通り、贖罪教会なので、工事資金は、信者からの喜捨と、観光収入のみでした。
しかし、内戦後まもなくであり、観光客も多くなかったスペインでは観光収入も期待できず、工事は思うように進みませんでした。

1975年 フランコ国王の死

しかし、当時スペインで独裁政権を握っていたフランコ国王が死去し、政治が民主化されたことで、スペインは徐々に繁栄を取り戻しました。
そして1990年代以降は観光客も増加し、拝観料収入が増加したことで、工事も進み完成の目途も立ってきました。
また、2005年にはカサ・ミラやグエル公園などとともに「アントニ・ガウディの作品群」として世界文化遺産に登録され更に、観光客が増加することとなります。
現在は世界中から年間300万人もの人が訪れています。

2006年 違法建築発覚

そんな中、サグラダ・ファミリア建築は行政に対して、届け出を出していない、違法工事ということが発覚しました。
結局サグラダ・ファミリア特別法を制定し、サグラダ・ファミリア側がバルセロナ市当局に3600万ユーロ(日本円で約43億円)を支払うことで合法的に工事を進めることが可能となりました。

2026年 完成予定

そして、一時は完成まで300年かかると言われたサグラダ・ファミリアですが、現在はガウディの死から100年後の2026年、着工から144年で完成予定として、工事が続けられています。
このように完成までの時期が短縮された理由としては、観光客が増えたことによって資金が潤沢になったことに加え、3D解析技術や3DプリンタなどのIT技術の進歩があげられます。

参考図書

最後に、サグラダファミリアへ行く際には是非読んでほしい本を紹介します。

こちらは現在、サグラダ・ファミリアで主任彫刻家を務めている、日本人の外尾悦郎さんの著書です。
普通に観光しただけでは、気づかないようなガウディの建築の奥深さや、日本人として世界的に貴重な建築物を手掛ける気持ちなどが語られており、サグラダ・ファミリアへ行く際には是非読んでおきたい一冊です。

まとめ

サグラダ・ファミリアは、設計士の変更や内戦なども経て、今日も完成に向け工事が着実に続けられています。
完成したサグラダ・ファミリアを見に行くのもいいですが、工事途中の様子も今しか見ることができません。
是非スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリアへ足を運んでみてください!

○○年後に完成予定!スペイン・サグラダファミリアの歴史【150年工事中】

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