こんにちは。やっす(@yassu_blog)です。
この記事は日本の京都府宇治市にあり、10円玉に描かれていることでおなじみの平等院鳳凰堂の歴史を解説していきます。
平等院鳳凰堂はもともと貴族の別荘だったということや、平等院鳳凰堂はなぜ10円玉に選ばれたのかなど意外と知られていない平等院鳳凰堂の歴史を解説します。
こちらの記事は動画でも解説しています。
平等院鳳凰堂はどこにある?
平等院鳳凰堂は京都市から南に下った宇治市に位置しています。
京都駅から行く場合はJRや私鉄の京阪に乗らなくては行けず、京都市内の他の寺院とは離れているので注意が必要です。
平等院鳳凰堂の歴史
貴族の別荘地
現在平等院鳳凰堂が立っている宇治市のあたりは、平安時代の初期から貴族の別荘地として栄えていました。
初期の平等院も複数の持ち主にわたり、最終的には摂政であった藤原道長の別荘となります。
藤原道長の死後、1052年に長男の藤原頼通によって別荘から寺院へと変更され、名称も今との同じ平等院となりました。
その際には今の鳳凰堂はまだなく、本堂が建立されたのみでした。
その後1053年に西方の極楽浄土のような建物をモチーフに鳳凰堂が立てられ、今もその当時の建物が残されています。
平等院が建てられた理由
1052年に別荘から寺院と変わった平等院ですが、その理由は藤原頼道が死後、極楽浄土に行けるように修行をするためです。
この時代は仏教の世界で末法と呼ばれ、この時代を生きた人は死後死後地獄に落ちる運命にありましたが、浄土教の修業をすれば極楽浄土に生まれ変われると信じられていました。
そこで、藤原頼通も修行を積むため、お寺を作ったというわけです。
末法とは
この1052年というのは、釈迦が無くなってから2000年が経つ年だと言われており、仏教の世界では釈迦が無くなって2000年たつと、仏教の効力が無くなって乱世が来ると信じられていました。
この1052年以降の世界を末法と呼びます。
この末法の時代に人々は浄土教の修業をすれば極楽浄土に生まれ変われると信じており、その修行には極楽浄土を想像することが良いとされていたため、藤原頼通は極楽浄土にあるような鳳凰堂を立てたと言われています。
極楽浄土をイメージしながら修行するために、別荘を寺院へ変えて、鳳凰堂まで立てたということになります。
1951年 10円玉の絵柄に選出
第2次世界大戦後の1951年に平等院鳳凰堂は10円玉の絵柄に選ばれます。
ですが実は平等院鳳凰堂は10円玉に選ばれた理由は現在残されていません。
平等院鳳凰堂のHPにも「日本を代表する文化財で、建物に特徴があるから」とだけ記載されています。
これではあまりにも曖昧過ぎるので、平等院鳳凰堂が描かれているもう一つの紙幣についても調べてみましょう。
実は平等院鳳凰堂は10000円札にも記されています。
建物全体が映っているわけではないですが、平等院鳳凰堂の屋根にいる鳳凰が1万円札に描かれています。
そして、1万円札に鳳凰が選ばれた理由は公開されており、「 人々に幸せや喜びをもたらすという伝説の鳥が、お札になって世界中に流通すれば素敵だと思ったから」ということでした。
10円玉に平等院鳳凰堂が選ばれた理由ははっきりしないものの、1万円札と同様に「鳳凰がいる美しい建物であった」、そして「その建物が第二次世界大戦の戦火を免れた」ということが理由だったのではないかと推察できます。
世界遺産登録
そして1994年に「古都京都の文化財」として日本で5件目の世界遺産に登録されます。
「古都京都の文化財」は平等院鳳凰堂のほか、清水寺や下鴨神社、二条城など17の建造物などで構成されています。
このようにして、現在では平等院鳳凰堂は日本でも有数の観光地となり、年間500万人以上が訪れているそうです。
また、平等院鳳凰堂は他の寺社仏閣とは異なり、戦火を免れ創建当時の姿のまま現存するとても珍しい寺院となっています。
まとめ
極楽浄土をイメージして作られた平等院鳳凰堂は、その見た目の美しさや、鳳凰があしらわれているということから貨幣にも選ばれ、日本の国宝として大切にされています。
是非実際に訪れてその美しさを体験してみて下さい。
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