元々キリスト教の街だった!?世界遺産トルコ・イスタンブールの歴史

歴史
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こんにちは。やっす(@yassu_blog)です。
この記事では世界遺産でもあるトルコ・イスタンブールの歴史を解説していきます。

・イスタンブールは元々キリスト教の街だった?
・イスタンブールは3つの帝国の首都だった?

という点を中心にイスタンブールの歴史を紹介します。
イスタンブールというと現在はトルコの中心都市なので、イスラム教のイメージが強いかと思いますが、実は初めにイスタンブールを作ったのは実はキリスト教の帝国だったんです。

イスタンブールはどこにある?


イスタンブールはトルコの北西にあって、アジアとヨーロッパの中間地点、そして北を黒海、南をエーゲ海に面した交通の要衝に位置しています。
そのため、多くの人々が昔から行きかい、栄えることとなった場所です。

そしてイスタンブールの中でも南西にあるヨーロッパ側の半島が旧市街として世界遺産に登録されており、スルタンアフメト・モスク(通称ブルーモスク)や、アヤソフィア、トプカプ宮殿などがあります。
北西にあるのが新市街で、新市街と旧市街の間は橋を渡って移動し、東側のアジア側とは船を使って移動することとなります。

イスタンブールの歴史

概要

この地方に街を作ったのは紀元前7世紀ごろのギリシア人だとされています。
このギリシア人たちによって都市国家ビサンティオンが建設されました
つまり今は中東のイメージが強いトルコですが、初めはギリシア人の国だったということになります。
紀元前2世紀にはローマ帝国が占領しますが、4世紀末にローマ帝国が分裂し東ローマ帝国のちのビザンツ帝国となります。
そして15世紀にビザンツ帝国は滅亡しオスマン帝国により、占拠されることとなります。
そして第一次世界大戦後にトルコ共和国が樹立して、今に至ります。

宗教はというと、ローマ帝国の時代の終わりからビザンツ帝国にかけてはキリスト教の文化でしたがオスマン帝国がイスラム教の国であったため、その後イスタンブールもイスラム教の文化を受けて発展していきます。

紀元前7世紀 都市国家ビザンティオンの始まり

紀元前7世紀にギリシア人が現在のイスタンブールの地域に都市国家であるビザンティオンを建設します。
この当時は古代ギリシア人がアテネやスパルタなどのポリスと呼ばれる都市国家を建設していた時代です。
その後この地域を統治するは国が激しく入れ替わり、ペルシアやマケドニアによる支配を受けます。

2世紀 ローマ帝国による統治

一方、紀元前27年ごろからイタリア半島を中心にローマ帝国が力を拡大していきます。
ローマ帝国は徐々に東へ範囲を拡大していき、196年にローマ帝国による統治が始まります。
そして330年にローマ皇帝であるコンスタンティノス1世がローマからこのビザンティオンに首都を移して、コンスタンティノープルという名前で都を建設しました。

アヤソフィア

この時からローマ帝国の首都となります。
ちなみにこの時のローマ帝国はまだキリスト教の国ではありませんでしたが、徐々にローマ帝国内でのキリスト教の力も強くなっていきました。
360年にはキリスト教の大聖堂である、アヤソフィア大聖堂も建設されています。
そして392年にキリスト教が正式にローマ帝国の国教となります。
キリスト教がどのように勢力を拡大したかは以下の記事で触れています。

https://www.yassublog.com/entry/vatican-history/

4世紀 ビザンツ帝国

しかし、ローマ帝国はあまりにも大きすぎたということもあり、395年にローマ帝国は東西に分裂します。
そしてコンスタンティノープルはその後1000年以上続く東ローマ帝国つまりビザンツ帝国の首都となりました。
この後コンスタンティノープルは発展し、ヴァレンシス水道橋の建設や焼失したアヤ・ソフィア大聖堂の再建が行われます。

スルタンアフメト・モスク
(ブルーモスク)

また、宗教に関しては、ビザンツ帝国はローマ帝国時代からのキリスト教を国教としていました。
しかし、ローマ教皇の影響の強い、現在のイタリアやヨーロッパ地域では、キリスト教の布教のために、本来禁止されていた偶像崇拝つまり、絵や銅像を作っていました。
文字が読めない人にも布教させるためには、口で話すより、絵や銅像を作ったほうが良いという考えです。

一方のビザンツ帝国のキリスト教では変わらず、偶像崇拝が禁止されていたため、対立が徐々に生まれてきます。
そして、その後ビザンツ帝国のキリスト教はギリシア正教となり、ローマ教会のキリスト教はカトリックとなりました。
現在でも東ヨーロッパの国々ではギリシア正教に属するキリスト教が信仰されています。

15世紀 オスマン帝国による占領

繁栄を極めたビザンツ帝国ですが、1453年にメフメト2世率いるオスマン帝国との戦いに敗れ、その1000年以上の歴史が終わります。
その後、この土地はイスラム教の国オスマン帝国の首都としてイスタンブールという名前で繁栄していきます。

ビザンツ帝国からオスマン帝国へと変わった際にアヤソフィアなどそれまで聖堂として使われていた建物は破壊されることはなく、モスクとして作り替えられています。
また、アヤソフィアの近くにメフメト2世が住むトプカプ宮殿が建設され、16世紀にはブルーモスクの呼び名で有名な、スレイマニエ・モスクなども建設されています。
オスマン帝国の範囲は最盛期には東ヨーロッパから北アフリカ、中東を含む範囲にまで及んでいました。

しかし、第一次世界大戦でドイツと同盟を組んで敗れたことにより、オスマン帝国は弱体化しました。

20世紀 トルコ共和国の樹立

1923年にオスマン帝国が滅亡し、トルコ共和国が樹立した際に首都はトルコの中央にあるアンカラに移りました。
そうして、1600年かけて3つの帝国の首都として繁栄したイスタンブールはついに首都ではなくなりました。

その後1985年に「イスタンブールの歴史地区」として、イスタンブール旧市街は世界文化遺産に登録されました。
今回あげたトプカプ宮殿やアヤソフィア、スルタンアフメト・モスクはどれも世界遺産に含まれています。

まとめ

イスタンブールはローマ帝国により都市として建設された街で、有名なアヤソフィアも実は元々キリスト教の聖堂でした。
また、ローマ帝国に始まり、ビザンツ帝国、オスマン帝国の首都として1600年間も反映した街でもありました。

イスタンブールはただ歩くだけでも綺麗な街ですが、実はキリスト教の元作られた街だったという歴史を知ると、意外な発見などもあるかもしれません。
是非イスタンブールへ訪れてみてください。

参考記事 キノコ岩はどうできた?誰が作った?カッパドキアの知っておきたい歴史

元々キリスト教の街だった!?世界遺産トルコ・イスタンブールの歴史

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