国全体が世界遺産!?バチカン市国とキリスト教の歴史

歴史
スポンサーリンク

こんにちは。やっす(@yassu_blog)です。
この記事では世界最小の国バチカン市国に行くときに知っておきたい

・国全体が世界遺産のバチカン市国にはどのような歴史があるのか?
・バチカンの独立を認めたのはあの独裁者ムッソリーニだった!?

という点を中心にバチカン市国の歴史、そしてカトリックの歴史を紹介します。
バチカンの歴史は、キリスト教とも深く結びつき、世界史でも中心となる部分なので要チェックです!

バチカン市国はどこにあるの?


バチカン市国は世界最小の国で、東京ディズニーランドよりも小さい国です。
街は完全にイタリアの首都・ローマの中にあります。
世界一小さい国ですが、とても深い歴史が存在しています。

バチカンの歴史

4世紀サン・ピエトロ大聖堂の建立

キリストの弟子ペトロはバチカンという名前のローマのはずれの丘に埋葬されました。そのお墓の上に大聖堂を建てたというのが、バチカン市国の始まりです。
このペトロは初代のカトリックの教皇とされていることもあり、このサンピエトロ大聖堂は教皇庁の本拠地となりました。
教皇というのはキリスト教のうち、カトリック教会の最高位の聖職者のことです。ローマ教皇という名前で聞くのが聞きなれているかもしれません。
ローマ教皇はバチカン市国の国家元首となっています。

また、教皇庁とはローマ教皇のもとに全世界のカトリック教会を統率する組織のことになります。
つまりこの4世紀から現在に至るまで、一時期を除いてカトリックの教皇庁はこのバチカンに存在し続けているということになります。
そして、4世紀末にはキリスト教は当時現在のヨーロッパから中東・北アフリカまでを支配していたローマ帝国の国教となり、力を得ます。

ローマ帝国・西ローマ帝国の崩壊

しかし、キリスト教の時代は長くは続かず、395年にはローマ帝国は東西に分裂します。
そしてバチカンのあった西ローマ帝国は5世紀末にゲルマン人の侵入を受け崩壊してしまいます。
教皇庁はその後もずっと続いていたものの、ヨーロッパはイスラム教徒の侵入をうけるなど、教皇庁にとって厳しい時代が続きます。

教皇が力を持つ

732年トゥール・ポワティエの戦いでイスラム教徒の侵入を破ったカール・マルテルの子供であるピピンに、ローマ教皇の権威を後ろ盾として、フランク王国の王に即位することを認め、代わりに王となったピピンは教皇庁に領地を献上しました。
そうすることでフランク王国と教皇庁は結びつきを強くし、お互いに権威を拡大したというわけです。
そして、教皇庁は領地を拡大し、そこから税収を得てさらに権力を増していきました。
一時的には この後にできる神聖ローマ帝国の皇帝よりも力を持つようになります。
ローマ帝国の皇帝が教皇からの破門を恐れ、雪の中3日間断食をして祈り続けたのが、あの名前が有名なカノッサの屈辱となります。

権威が弱まる

しかし、教皇庁の力が強い時代はそう長く続きません。
教皇庁の力が強くなると、富や権力をむさぼる聖職者も多くあらわれ、そのような教会への反発が高まりました。
また、キリスト教の聖地であるエルサレムを奪還しようと十字軍を遠征させましたが、それも失敗に終わり、教皇庁の力は弱くなっていきました。

ミケランジェロの登場

その後、教皇領は縮小しますが、巡礼者の増加などによりバチカン市国は繁栄し、15世紀にはバチカン宮殿やサン・ピエトロ大聖堂の改築や、システィーナ礼拝堂の建立を行います。
有名なシスティーナ礼拝堂の天井画である「天地創造」は1508年からあのミケランジェロが描いています。
またシスティーナ礼拝堂にある「最後の審判」やバチカン市国の衛兵の制服などもミケランジェロが手掛けています。

バチカン衛兵

ちなみにバチカン市国は軍隊を持たないのですが、歴史的に永世中立国であるスイス人がバチカン市国の衛兵となっています。

ローマ問題

1870年にイタリアが統一され、教皇領は全てイタリア王室に没収されてしまいました。
それに反発した教皇ピウス9世はバチカンに引きこもってしまい、その後イタリアとの交流の断絶は50年以上も続きます。
この教皇がバチカンの中に引きこもってしまった問題をローマ問題といいます。

1929年 独立国家に

この後、バチカンとイタリアとの関係性を修復したのは、意外なことにあの独裁者ムッソリーニでした。
ムッソリーニは第二次世界大戦の際に独裁者としてイタリアを率いた人物です。
ムッソリーニは教皇庁の権威を味方につけて、民衆からの支持も得たいと考えました。
そこでバチカン市国とラテラノ条約を締結し、バチカンを独立国家として認めました。
実際このバチカンの独立を認めたことで、更に大衆からの支持は強くなったといわれています。
更にバチカンを独立国家とみとめたため、一時的には聖職者も多くもムッソリーニのファシズムに協力的だったといわれています。

1984年 世界遺産登録

そして、1984年にその建築物や美術品の美しさや、宗教的な重要性を評価され、国そのものが世界遺産として登録されています。
サン・ピエトロ大聖堂やシスティーナ礼拝堂のほか、ミケランジェロと肩を並べる芸術家である、ラファエロの『アテナイの学堂』があるバチカン宮殿などがあります。

参考映画

バチカン市国に訪れる際に必ず見てほしい映画が、「天使と悪魔」です。
ダヴィンチ・コードの続編であり、科学対宗教をテーマにバチカンを舞台としたトムハンクスが主演の作品となっています。
バチカンをはじめとするローマの名所のほか実際に教皇を選出するときに行われるコンクラーベの様子なども再現されており、バチカンに行く際には是非見ていってほしいと思います。

2020年4月現在、「天使と悪魔」はAmazonプライムビデオで視聴可能です。
以下のリンクからアクセスしてください。
https://amzn.to/2JRqMIa

まとめ

国全体が世界遺産のバチカン市国は、全世界のカトリック教会を統率する教皇庁として4世紀から君臨してきました。
そしてその国の独立を認めたのは、なんとイタリアの独裁者ムッソリーニでした。
どの時代にも教皇の力を利用しようと考える人がいるということがお分かりいただけたのではないでしょうか。

是非、そんな歴史の深いバチカン市国に是非訪れてみてください!

国全体が世界遺産!?バチカン市国とキリスト教の歴史

コメント

タイトルとURLをコピーしました